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​ホレンコの友 
巻頭言 2026年4・5月号

「実を結ぶための場所移動」
   日本メノナイト教会協議会:白石キリスト教会 牧師 杉本博徳       
 「この4月に年度が替わることで、立場や肩書きのみならず、職場が変わったり、引越などされた方もいらっしゃるかもしれません。かくいう私も三人いる子どもたちが、この春そろって進学や就職で、家を出てそれぞれの土地で一人暮らしを始めることになっています。それに伴い、私たちは夫婦二人だけという生活が開始されることになり、寂しい思いはありつつも、子どもたちの成長を願って送り出す決心をしております。
 このような背景の中、ヨハネの福音書15章にある「ぶどうの木」のたとえ話が頭に浮かびました。冒頭でイエス様は御自分のことを「まことのぶどうの木」と仰って、弟子たちのことを「わたしの枝」と表現しています。そして、2節にはその枝が実を結ぶか否かによって、異なった取り扱いがされていますが、実を結ぶ者はもっと実を結ぶように刈り込みがされるというのは「剪定」を表現しているのでしょう。これは実際の植物においても適用されることなのでイメージできます。それに対して、実を結ばない枝は「取り除く」という翻訳がされています。枝と表現されているイエス様の弟子たちが「実を結ばない」という事を理由にイエス様との関係が断ち切られてしまうような表現に違和感を覚え、この箇所について調べました。すると「取り除く」と訳されているギリシャ語は「アイロー」という単語で、確かに取り除くという意味で用いられる事もありますが、基本的な意味は「持ち上げる」というもので、「場所移動」が表現されているものです。ということは、実を結ばないイエス様の弟子たちは、取り除かれておしまい、なのではなく、実を結ぶことが出来るように環境が変えられることを表現しているように思われます。枯れてしまった枝は6節にあるように、燃やされてしまいますが、イエス様の弟子が実を結んでいないのには理由があるわけで、その条件を改善させ結実させることが「アイロー」の目的と言えるでしょう。
​ また、ここで言う「実」を宣教の実として、救われる人が起こされることと解釈されることもあるようですが、枝自体が実を結ぶという表現は、イエス様の弟子たちに対する変化を表現しているものと考えるなら、これは人格的な「実」としてのガラテヤ5章にある「御霊の実」を表現していると受け止めるのがふさわしいように思います。私たちにとっての環境変化の背後に、神様の主権を認めるのであれば、神様は私たちが愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、という実を結ぶために場所を移動させてくださっているのでしょう。主の期待に応えるものでありたいと願っています。

 

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