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ホレンコ
北海道マスコミ伝道センター
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ホレンコの友
巻頭言 2025年12月号
「すべての人の『今日』のために、おさな子イエスはお生まれになった」
帯広聖公会・有珠聖公会牧師 司祭
ペテロ大町信也
クリスマスの日、野にいた羊飼いたちは、突然天の光に包まれ、天使の声を聞きました。「恐れることはない。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」天使が告げた「今日」は、二千年前の羊飼いたちの「今日」であると同時に、今を生きる私たち一人ひとりの「今日」でもあります。彼らが「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったことを見に行こう」と語り合ったように、私たちもまた、それぞれの場所から「今日、救い主に出会いたい」と願い歩み始めます。病の床にありながら祈りをささげる方、独り夜空を見上げて過ぎゆく一年を思う方、愛する人を天に送り、心に痛みを抱える方。そのすべての「今日」に、神の子イエス・キリストは生まれてくださいました。
そして、クリスマスの光は、どのような闇の中にも届きます。戦火と破壊に覆われたガザの街で、空爆の響きに怯えながら泣く子どもの声の中にも、神の痛みとあわれみは響いています。神は人間の苦しみの外におられるのではなく、そのただ中に、涙とともにおられるからです。神は、権力者としてではなく、「みどりご」として、最も無力な姿でこの世に来られました。粗末な飼い葉桶、柔らかな干草の上に眠る幼子。その傍らでマリアとヨセフは、限られた手立ての中で小さな命を守り、愛を注ぎました。その姿は、壊れゆく世界の中で、それでも命を必死に包み守ろうとするすべての人々の姿と重なります。
私たちは知っています。この幼子が、やがて十字架にかかり、世界の痛みと罪を担われたことを。飼い葉桶の背後には十字架があり、その十字架の向こうには復活の光があります。イエスの小さな手はやがて釘によって貫かれ、そして復活の日に、すべての人を包む祝福の手として再び広げられました。その手は、ガザの子どもたちの涙も、私たちの悲しみも、開かれ静かに受けとめ抱きしめます。
羊飼いたちは飼い葉桶を後にし、喜びに満たされて日常の野へと帰って行きました。私たちもまた、みどりごの祝福を受け、新しい現実へと旅立ちます。たとえ暗闇が深くとも、そこに神が共におられる――その確信を胸に主と共に行きましょう。
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