ホレンコの友 2017年12月号
「放送伝道によせて」          
                       日本キリスト教団真駒内教会牧師 秋山千四郎


放送伝道は、イエスが語った種蒔きのたとえ(マルコ4:1〜)に似ていると思います。福音の種は、誰か特定の人をめがけて蒔かれるのではありません。広く無差別に蒔かれます。だから、効率は決して良くありません。道端に落ちて、鳥に食べられてしまう種があります。石地に落ちて、枯れてしまう種があります。茨の中に落ちて、茨に覆われてしまう種があります。しかし、良い土地に落ちて芽生え、育ち、実を結び、30倍、60倍、100倍に成長する種もあります。
今日、ラジオ放送は厳しい時代となり、インターネット全盛の時代となりました。ですから、放送伝道もラジオからネットに移行する傾向にあります。しかし、私は古い人間なのか、ネット伝道に諸手を挙げて賛成する気持ちになれません。なぜならネット伝道には、イエスの種蒔きのたとえと本質的に異なるものを感じるからです。ネット伝道の場合、無差別に種を蒔くということにはなりません。お年寄りを始めとして、ネット環境を持たない人が大勢いらっしゃいます。また受け手のことを考えても、ある日突然、また偶然に、福音に触れるという感覚ではなく、自分の選びでアクセスすることになります。つまり、そこに自分の意思、自分の業が入り込んでしまいます。そうなると、どうしても聖書が語るところの伝道とずれて行くことになると思います。
 ですから、私は個人的な思いとして、可能な限り放送伝道を残して欲しいと思っています。それが聖書的な伝道だと思うからです。自らの選びによらず、ある日突然、何かの拍子に、あたかも天のお告げのように、ラジオから流れて来る御言葉に触れる……それが御言葉との出会いの本来の姿だと思うからです。
思えば私自身、放送伝道を通して福音との出会いが与えられました。子どもの頃、自作のゲルマニウムラジオを通して初めて福音放送を聞きました。福音放送を通して、私は御言葉に触れ、祈ることを覚え、讃美歌を知りました。当時、子どもながらに悩みを抱えていた私は、大きな慰めと支えと励ましをいただきました。そして小学校5年生の時、聖書通信講座を受講して立派な修了書をいただき、私は既にキリスト者となったつもりでした。実際に教会に通うようになり、洗礼を受けたのは高校生になってからのことです。
今のご時世、難しいこととは思いますが、また、時代の流れと逆行することかも知れませんが、可能な限り、心を尽くし、思いを尽くし、知恵を尽くして、ラジオ放送での伝道を続けて行っていただきたいと心から願っています。            (ホレンコ幹事)
ホレンコの友 2017年11月号
「プリスカとアクラに、よろしく」
          
聖書 ローマ人への手紙 16章3節
                    日本バプテスト連盟苫小牧バプテスト教会牧師 田代 仁


このローマ人への手紙を書いたパウロと言う人物、皆さんはどのような人物と思われるでしょうか。キリスト教徒の迫害者として登場し、ダマスコ途上で回心し、3回の伝道旅行をした人。「伝道者」パウロ、「使徒」パウロ、あるいは「神学者」パウロ。彼の書いた手紙のいくつかは新約聖書にも納められています。その中でもローマ人への手紙は「宗教改革者」ルターや「20世紀最大の神学者」バルトに大きな影響を与えた、と言われています。すごい人です。
 そのパウロが手紙の中で「同労者プリスカとアクラとに、よろしく」と、ある夫婦に言及する個所が二箇所あります。(ローマ書と第一コリント、他に第二テモテにもありますが第二テモテはパウロ自身が書いたものではないと言われています。)アクラはパウロと同様にテント職人であったことから、パウロを一緒に住まわせて共に仕事をしていたようです。この夫妻については、使徒行伝18章にも登場していて、そこでは雄弁な伝道者であるアポロを招き、さらに詳しく神の道を説き聞かせたとあります。この夫妻はこのようにして伝道者を支えていたのでしょう。
 ところで、この夫妻が登場する使徒行伝18章では、この夫妻について「クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきた」と紹介しています。そうしてコリントの街でパウロと出会うのですが、その背景となったクラウデオ帝の「ユダヤ人追放令」は紀元49年頃に出されたもののようです。ところが、パウロが紀元56年頃に書いたとされるローマ人への手紙には「同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。」という挨拶が添えられています。すなわち、7年を待たずにこの夫妻は再びローマの教会に戻っていたことになります。「ユダヤ人追放令」がローマ帝国の命令として出された事を考えれば、それは並大抵の覚悟ではありません。
私たちは、パウロという人物を通して初期キリスト教を見るとき、その活動や影響の大きさに目を奪われがちです。しかし、そのパウロより先に聖霊の風が吹いて、キリストの福音の種を世界に広げていったことを、このプリスカとアクラのような存在から知らされます。その風は現代の私たちにも吹き続けています。私たちもまたプリスカとアクラのように、聖霊の風を受けながら、実直に、私たち一人一人に託された使命に仕えてまいりましょう。
ホレンコの友 2017年10月号
   
「やがて夜が来る」
                    インマヌエル恵庭キリスト教会牧師 小田 満

「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。誰も働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」   
                                                                (ヨハネの福音書9:4,5新改訳)

「エンドタイムミニストリー」(石田吉男師主宰)によると、ロシアは「伝道禁止令」を施行し、サハリンでも取り締まりは強化されているそうです。
イエスキリストは「やがて夜が来ます。その時には誰も働くことができない」と言われました。日本の福音宣教にも、やがて「夜」が来ます。
徳川三代将軍家光の時代は、キリシタン禁教令の最も厳しい時代であったそうです。1626年1月12日に、米沢藩で53名のキリシタンが処刑された時、奉行は言ったそうです。「皆の者、ここにおる人たちは、信仰のためにこのようなことになった。皆、この人たちに向かって土下座してわびてくれ。この人たちが何をして来たかは、われらが一番良く知っておる。酷い病者を世話し、子どもや年寄りのために尽くし、米沢の領内で無くてならぬ人たちである。しかし、今、時代の流れはこの人たちがキリストを信じることを許さない。だが、われらにとってみたら、この人たちはまるで仏様みたいな人たちなのだ。だから、皆、土下座してわびてくれ。」時代の「夜」には、福音宣教は好意を持たれていても、自由に働くことが出来なくなります。
「一人の殉教者は10人の信者を生む」と言われて、ローマ時代には殉教こそ最大の証しとなりました。しかし、それでも国家を挙げて迫害された時代は、福音宣教の「夜」でありました。
最近、海外のニュースによると、教会が破壊されたり、キリスト教徒が露骨に迫害されていることが伝えられています。
「迫害」は宗教的いじめではなく、信仰者を「撲滅」することが目的です。
「やがて夜が来る。その時には誰も働くこと能わず。」(文語訳)と主は言われました。「終わりの時」は近づいています。ですから「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。」
さて、ホレンコの電波は道内隅々に届いています。私たちは、「夜」が来ない内に、世の光であるイエス・キリストを、宣べ伝えましょう。
ホレンコの働きが守られ、支えられますことを祈りましょう。支えましょう。感謝して活用しましょう。
ホレンコの友 2017年9月号
    「主は心の宮におられる」 
                   
日本聖公会:平取聖公会牧師 パウロ 内海信武

「チャップレーン!神さまってどこにいるの?」と子どもたちが聞きます―わたくし「ウーン、みんなのここに(胸のところに丸を描いて)お宮があってネ、そこにおられるのサ」と答えます。これは、わたくしどもの保育園の子どもたちとのやりとりです。
 昨年秋、胃に早期ガンが見つかり切除手術を受けました。その入院中の日曜日に先輩牧師が聖品(主イエスの体と血を表象するもの)を携えて訪問してくださり、聖餐を感謝していただきました。そして二週間ぶりに退院して「朝の祈り」の時、いつもの霊的読書(ヘンリー・ナウエン著「今日のパン明日の糧」)で開かれた1章は実に感銘深いものでした。以下にそのまま記します。

エマオの弟子たちの家でパンを割かれた時に、二人の弟子たちはそれがイエスだと分かりました。その時、イエスの「姿は見えなく」なりました(ルカ福音書25章31節)。
イエスだと分かることと、イエスの姿が見えなくなるということの二つのことは、実は同じ一つの出来事です。何故でしょうか。それはキリストである彼らの主イエスが、自分たちの中に生きておられること、そしてそれゆえに自分たちがキリストを運ぶものとなったのだということが、弟子たちに分かったからです。
 つまり、イエスはもはや、彼らが話しかけたり、助言を得たりする見知らぬ人や客や友人として、テーブルの向こうに座っているのではありません。イエスはこの弟子たちと一つになられたのです。
 イエスはご自身の愛の霊を二人に与えられました。彼らの旅の道連れであられたイエスは、今や彼らの魂の同伴者となられました。二人は生きています。けれども、生きているのは彼らではなく、二人の内にあって生きておられるキリストなのです(ガラテヤ書2章20節)。
 聖餐は、イエスが私たちにとって一番身近な方となって共にいてくださる場です。というのも、イエスが私たちの「内」にキリストとなって生きておられるばかりか、キリストとして私たちの「間にも」生きておられるからです。エマオで、パンを割いた時にイエスであると分かった弟子たちが、互いの間に新しい親しみを見出して、共に友人たちのところへ戻ってゆく勇気を得たように、イエスの体と血をいただいた私たちも、お互いの間に新しい一致が生まれたことに気づくことでありましょう。
ホレンコの友 2017年8月号
    「永遠の命に至る水」 
                             日本ナザレン教団 札幌ナザレン教会牧師 古川修二

主にあって、暑中お見舞い申し上げます。
北海道にしては異常に暑い夏ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。九州で生まれ育ち、関西地方の厳しい夏になれてきた筆者にとっても、なつかしさを通り越す暑さで、酷暑になれておられない、北海道の皆様にとっては、さぞ辛いことと思います。油断することなく水分の補強をする必要があります。
渇きを覚える季節を迎えるたびに思い出すことがあります。聖書の記述に従いながら、エジプトからイスラエルの旅をした時のことです。ガイドを務めてくださった方から、次のような注意をいただきました。「皆さん、絶えず水を飲むことを忘れないようにしてください。渇きをおぼえたときには手遅れになることがあります。」のどの渇きを覚える季節を迎えるたびに思い起こす言葉です。そして、それは体だけではなく、私たちの心にとっても言えることだと思います。私たちは、絶えず水分と栄養を取る必要があるだけではなく、絶えず、神の言葉によって、魂を養い、絶えず聖霊に満たされて歩む必要があります。
イエス・キリストはサマリヤの女性に言われました。「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と。旧約聖書アモス書8章11節には、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る。それはパンのききんではない、水にかわくのでもない。主の言葉を聞くことのききんである」と言う主なる神の言葉が記されています。
キリスト者でありながら、様々な事情で集会に参加できない方々が多数おられます。その方々にとって、ラジオから聞こえてくる神の言葉とメッセージ、主にある方々の証は大きな励ましであり、命の糧そのものです。先日も、体調を悪くし、入院を余儀なくされた方から、「礼拝に参加できないが、ラジオで御言葉を聞き、励ましを受けています」という報告を受け、放送伝道の働きの尊さを、改めて確認させていただきました。
ホレンコの働きが続けられ、その働きに参加させていただけることを神に感謝し、さらにこの働きが教会の協力の業として、祝福されて用いられますようにと祈っています。    (ホレンコ幹事)
   
ホレンコの友 2017年7月号
    「はくちょう座が伝える天からのメッセージ」    
                
日本キリスト教団 岩内教会牧師 平 宏史

 夏の星座の中でも最も美しく、人々に称えられているのが白鳥座です。特に明るい5つの星で作られている十字架は、古くから南天の南十字に対して、北の十字架とも呼ばれ、人々は神聖なものとして仰いできました。
 この星座は、31個の星からなっており、白鳥の尾のところには、α星デネブが白色に光り、くちばしの先には、天上の宝石といわれるβ星アルビレオが輝いています。白鳥は水鳥の中でも、最も気高く、堂々としています。どの民族においても、詩的な威厳、純粋さ、そして、優雅さの象徴となってきました。
 ギリシャ人、ローマ人は、美の神、詩の神として聖別していました。白い鳩は聖霊の象徴ですが、同じように清らかで、この上なく美しい白鳥は、渇ききった人々の心に喜びの水を与え、生きる希望をもたらす救い主キリストの象徴として最も相応しいものといえます。
 この白鳥は、大きな翼を備え、天空に円を描き、天のかめから尽きることのなく流れる川、銀河の上を舞っています。翼と胴体とで十字架の形をなし、比類のない威厳に満ちた優雅な十字架を描きながら、恵み豊かな命の水の上を舞っているのです。
 この星座を天空に仰ぎ見ながら、雄大な美しいキリストの姿を共に瞑想しようではありませんか。キリストは地上での救いの働きを全うされて後もなお、天に舞いつつ、地上で戦う教会や人々に希望と勇気を与え続けているのです。
●「信仰、希望、愛」の夏の大三角
 夏の夜空にひときわ鮮やかに見えるのが夏の大三角といわれる3つの一等星、これは他の星座の観測のために一番の目印となっています。この大三角を描いている3つの星、すなわち「こと座」のベガは信仰者の賛美、「はくちょう座」のデネブは希望のメシヤ、「わし座」のアルタイルは偉大な神の愛を表しています。
ホレンコの友 2017年6月号
                  「聞いたこと、思い出すこと」    
                    
                    
日本キリスト教会札幌発寒教会牧師 八田牧人

何を隠そう、わたしは「ながら族」です。もはや、そうとう昔になってしまいましたが、高校生の頃には深夜放送にハマっていました。わたしだけではなく、仲間や友達みんなが勉強しながらラジオを聞いていた気がします。
不思議なもので、聞き流していても、気に入った曲や興味深いリクエストはがきには間違いなく反応していました。番組全体の流れやゲスト、ジョークはほとんど忘れてしまい、聞いた番組の全部を記憶している訳ではありません。しかし全てがおぼろげなのに、逆に曲や歌、採用されたハガキの内容だけはしっかり覚えているのです。
ラジオに全神経を集中していたとしたら、他のことが何も手につかなかったことでしょう。また、予感や記憶力が優れているといった特別な才能があったはずもなく、ごくごく普通の高校生の日常生活の一コマなのです。
実は、アッと思い、その瞬間に耳をそばだてるということ、そして覚えるということは、わたしたちみんなに共通する経験ではないでしょうか。
考えてみれば、わたしたちの多くは「ながら族」として生きているように思います。一つのことに集中し続けられるようなぜいたくな環境にはありません。
ホレンコの放送も、日常生活の中であれこれ仕事や準備の最中に流れて来ます。ラジオから流れる讃美歌やメッセージは、聖書について語っています。送られて来る聖書の言葉を耳で捉え、アッと思い、集中する瞬間を経て、記憶に残っていきます。それはわたしたちに聖書の言葉が心に届き、根を張ったしるしと言えるのではないでしょか。
ヘブライ人への手紙に「だからわたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わなければなりません」(2章1節)とあります。注意の払い方ばかりにこだわるのではなく、聖書の言葉が確かに伝わっている事実、聞いた事実にこそ目を向けたいと思います。聞いたからこそ、記憶に留まっているからこそ、注意を払うことができるのです。確かに心に届く聖書の言葉が、これからも聞こえてくるように、思い出されるように、ホレンコを支えて行きたいと思います。
ホレンコの友 2017年5月号
                  「御国の福音」    
                      キリスト兄弟団北見栄光教会牧師 笠見 旅人

私が所属している教団の総会が毎年3月末に茨城で行われるのですが、毎年屋内の寒さに震えて帰ってきています。11年も北海道に住み続けている自分も道民になりつつあるのかなと思う今日このごろです。 ところで地元の観光名所と言っても、意外と行った事がないという人は多いのではないでしょうか。それではもったいないという事で、今年は網走の流氷観光船に乗ってきました。2隻の船が甲板まで一杯になるくらいの人、また人。船尾にポジションを確保して、流氷を真二つに分けながら伸びていく航跡を眺める時間を過ごしました。それにしても船上の国際色の豊かなこと、日本人だけではなく中国、台湾、その他にも色々な国の人々が思い思いに写真を撮ったり、お喋りをしたりと楽しそうな時を過ごしていました。北海道のみならず、日本の観光シーンが近年大きく変化してきたことを実感させられました。
 さて、流氷とは何かということをご存知でしょうか。私はオホーツク海の海水が寒さで適当に凍って流れてくるものだと思っていました。調べてみると遥か北はロシアのアムール川の水が海に流れ込み、それがシベリアからの寒気で凍ったものがはるばる北海道まで流されて来るのだそうです。言うなればロシア産の流氷を様々な国の人々が一緒に眺めて、その雄大さに感動する時間を共有していたことになるのです。船上のお互いの国々には様々な国家間の問題があるのですが、そのようないさかいは船の上では当然起こることもなくただ緩やかな時を過ごす。神の国の姿というものの片鱗を見させていただいたような感謝な気持ちで帰ってきました。
 昨今は、領土問題、民族問題などあらゆることが活発化してきているように感じます。世の中は決断と選択を迫ってきます。白か黒か、イエスかノーか。その決断には自分が何人でどういう環境に生きているかということが当然影響していきます。しかしクリスチャンは目に見えない神の国に生きる者とされていることを忘れてはならないと思うのです。そしてそこにこそ本当の意味での正しい最善の答えがあるのだと私は信じています。私たちはこの目に見えないけれどもすでに到来し、やがて完成する神の国に生きる者として、この神の国に生きることの幸いを伝えていく責任があるのです。国同士だけではなく、地域でも、家族間、個人間でも様々な問題の壁が存在しています。そのような壁を乗り越えて福音を届けていくことは時に大変困難なことであります。しかし、ラジオの電波は時にそのような壁を乗り越えて、福音を必要としている人に届けられる可能性をもっているのです。そのためにも是非ホレンコの働きのためのご協力をお願いいたします。これからもラジオの電波に乗って御国の福音が広がっていきますように。
ホレンコの友 2017年4月号
                「おはよう・喜びあれ」    

 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、 イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。       (マタイ福音書28章9節)
             
                       日本キリスト教団:栗山教会牧師 森 宏士

 「暖かくなりましたね」「春ですね」、そんな挨拶を交わす季節です。青年の頃、春が好きでない人も少なくないことを知りました。春の陽や賑わいのなかで、我が身や知友の哀しさや重さをかみしめることもあります。けれども、冷たさ残る春風に肩をすぼめ、まぶしい光にうつむきながらの歩みではあっても、小さな出会いやひと言が、新しい温もりや力になり始めることもあります。

主イエスに敬愛と希望をいだいて共に歩んでいた弟子たちや人々は、ユダヤ当局によるイエス様の逮捕と十字架刑の前にくだけ散り、挫折と失意に沈みました。ところが、その婦人たちの二人にイエス様が現れて、「おはよう」と声をかけてくださったといいます。

とんでもない一大事の後に、なんで「おはよう」なんだ? 聖書を初めて読んだ頃、すべてがちんぷんかんぷんでした。イエス物語…、沢山出てくる奇跡は信じがたいし、確かにいいこと言ってるなと思うところはあっても、「…で、だから?」。極めつけは十字架の結末。弟子たちの裏切る様には妙に説得力を感じ、「聖書は人間に救いがないと言っているのか」と腹が立ってみたり、「やっぱりか」と暗い気持ちになったり。そして、「復活した」?、「おはよう」??

今は思います。私たちが失意や困惑の中で進むその先に、「イエスが行く手に立って」(9節)待っている、そして出会ってくださる。私たちの失意や困惑の原因も出来事も心もすべて知っていて共に歩んでくださる主イエスからの言葉は、「やぁ」でも十分すぎるほど、有り難く、申し訳なく、力強く、温かいものとなるのではないでしょうか。続いてさらに、「恐れることはない。行きなさい。更に私と出会うことになるから」(10節)と約束してくださるのですから。

「おはよう」の原語の直訳は「喜びあれ」です。当時すでに一般的な挨拶言葉でもあったそうで、「ごきげんよう」と訳す聖書もあります。「平安あれ」もあります。
イエス様の「おはよう」には、沢山の思いが詰まっていそうです。
みなさんへの、主イエスからの新たな語りかけと伴いは、どのように訪れてくださるでしょうか。こころから、祝福をお祈りいたします。
ホレンコの友 2017年3月号
           「福音伝道への思い」    
           
                     日本バプテスト連盟:釧路教会牧師 奥村 敏夫

 寒い日が続いていますが、皆さんお変わりありませんか?いつも<ホレンコ>のスタッフの皆さんが様々な困難の中にあっても献身的に、そしてタフにその当初の使命を守り続けておられることを覚え感謝にたえません。
 私は2年程前まで、札幌バプテスト教会で10年間牧師として仕え、その間に何度かラジオ伝道の奉仕に関わらせて頂きました。限られた時間内に起承転結を考え、特に若い方々に聖書のことキリスト教のことに興味・関心を持っていただくために、何ができるか−手探りしながら、また冷や汗をかきながら取り組んできたことを思い起こしています。
 現今キリスト教の退潮が言われ、メディアの構造的変化と多元化によって、かつての“マスコミ伝道”は難しくなっていると語られます。
 しかし、そうなのだろうか?今、道東の釧路にある小さな教会に遣わされてそこに身を置き、「伝道」ということや教会形成について考える時、教会が、<守り>や<内向き>にならず、地域に知られ、敷居を低くし、いつもオープンな姿勢で人々に迫ろうとしても、一つの教会の力では限界がありそのメリットも限られていることに思い至ります。 そこで、ここ釧路の牧師達と話し合い可能性を探っていることの一つは、「FM釧路」を通して、ローカルな福音放送をスタートが出来ないかという事です。そんな語り合いをしている時に、改めて札幌にある<ホレンコ>の働き、人材、器材が備えられていることの素晴らしさに思い至りました。この働きの実現のために、如何に多くの方々の貴い献げ物があったか、如何に多くの方々の祈りと献身が続けられて来たかを今更のように考えさせられました。「福音のためにはどんな事でもする」と語ったパウロの思いを、これからも様々な試行錯誤を経て、私たちも担い続けていかなければならないと思います。
 “継続こそ力”と言われます。電波を介して、その向こうに、このような時代だからこそ、切実にメッセージを待っておられるまだ見ぬリスナーが沢山いること、放送を通して人生が根っこから変えられた人々がこれまでも沢山いたことを覚えながら、この働きを是非、力強く推めていただきたいと祈っています。
 スタッフの方々のお働きは内外に大変だと推察しています。健康が守られて、この「良き業」を続けていくことができますように。 
ホレンコの友 2017年2月号
            「いつもニコニコ」    
                      
                               
日本キリスト教会札幌白石教会牧師 斎藤義信

ホレンコが何とか現状を維持出来て本当に感謝です。しかし経済的には厳しくなってきています。今年度の決算はまだですが、今まで以上に大きな赤字になりそうです。2019年には60周年を迎えますので、それまでは何とか継続して欲しいと願っています。
 世界では教派を超えて協力しあうというエキュメニカル運動が盛んになってきていますが、北海道では教派を超えて50年以上に亘って、ホレンコという組織が支え続けられているということは、世界に誇れることだと思います。
 イエス・キリストが救い主として私たちのところにやってきて下さったということは、私たちの世界にいのちが現わされたということです。永遠につながるものは私たちの世界には存在しなかったのに、神が与えて下さることによって、私たちの身近に存在するようになりました。御子によって、本来水と油のように決して混ざることのない、私たちの罪の世界と、神の世界とが結び合わされました。     
 私たちが主イエス・キリストを救い主として、受け入れ信じることによって、主イエスとの交わり、神との交わりの中に生かされていきます。そして同じように主イエスを救い主と信じる人々との交わりを持つことができます。本来主イエス・キリストを救い主と信じる人々は一つの交わりを形成して行くことがごく当たり前のことですが、実際には人間的弱さゆえに、教派に別れてしまっている現実があります。教派を超えて一つの交わりを形成する努力をもっとしなければならないと思います。
 聖書(Tヨハネの手紙)には、主イエスキリストを救い主として信じる生活は、喜びが満ち溢れると記されています。私たちは日常生活を整え直して、喜びを本当に噛み締めながら生きて行くことが今こそ一番大事なことです。普段の生活で不平不満が多くて、イライラしているのは自分の足元しか見ていないからです。
 神およびイエス・キリストとの交わりに生きるようになれば、喜びながら感謝の生活をすることが出来るようになります。いつも文句たらたら不平を並べ立てる姿は人々に不快感を与えます。クリスチャンはいつもニコニコして楽しそうに生きてこそ周りにいる人々を明るくしていきます。
 私たちの信仰は交わりを基本としています。信じることが必然的に交わりを産んでいきます。まず神すなわちイエス・キリストとの交わりがあって、その次に人と人との交わりに生きる生活があります。
 教派を超えた交わりがいかに素晴らしいかということをホレンコの集まりに行くたびに思わせられています。(ホレンコ幹事)
ホレンコの友 2017年1月号
               「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
                       
         ルカによる福音書2章 30節
       
                                           日本福音ルーテル教会:札幌教会牧師 岡田 薫

 世界ではじめのクリスマスが祝われた約2000年前、旅先で初めての子どもの出産という経験をしたヨセフとマリアは、産後の清めという律法の定め《初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される》に従って、幼子を神さまにささげるためにエルサレムの神殿に行きました。そこにはシメオンとアンナという二人の預言者が、約束のメシアの到来をいまかいまかと待ち望んでいました。
 シメオンには《主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない》というお告げが与えられており、《この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた》とあります。ここには彼の年齢は書かれていませんが、もう一人の預言者であるアンナが《84歳になっていた》とありますから、相当な年齢だったことがわかります。二人の老預言者は、《救い主を与える》という神さまの約束は成就するという信頼を持ちながら、神殿にやってくるたくさんの親子に祝福を祈っていたのでした。
 巻頭の言葉は、とうとう約束の幼子を見出し、その子を腕に抱いたシメオンが口にした賛歌の一部です。救い主の誕生を待ち望み、そして迎えることができた万感の思いが魂からあふれています。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々へこの嬉しい知らせを告げ知らせています。二人は喜びに溢れ、救い主の到来を告げ知らせずにはいられなかったのです。
 神さまが、小さな乳飲み子を救い主としてお与えくださった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望があるからでしょうか。それだけではありません。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。神の御子は、もっとも大いなる力を持っておられるにもかかわらず、自らの力を行使せず、人の親にその身を委ねられました。それは、幼子を抱く時に、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たち人間が、今、自分の腕の中に納まっている小さな存在の愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。
 世の暗闇はますます深まっているような暗澹たる思いもありますが、すべてを照らす真の光である主イエス・キリストの到来を祝いその愛に触れた者である私たちは、福音の使者として世に仕える者でありたいと願います。